ソーシャル・データサイエンスが進める社会基盤の革新

一橋大学が2023年4月に新設したソーシャル・データサイエンス学部・研究科が注目されている。データサイエンスの教育現場、ビジネスへの展開、未来といった同学部の構想について、同学部をけん引する七丈直弘教授に、弊社COO・武藤覚が対談形式で詳しくお聞きした。

社会的ニーズを受けて約70年ぶりに学部新設

今回は、一橋大学のソーシャル・データサイエンス(以下、SDS)学部および研究科の新設をリードされた七丈直弘先生にご登場いただきます。

武藤/2023年4月に設立された新学部と研究科にはどのような背景があるのでしょうか。

七丈先生(以下、敬称略)/まず内的要因があります。新学部ができる以前、一橋大学は商、経、法、社という4学部体制でしたが、それら社会科学系の学部においても、研究・教育でPythonやRなどのプログラミング言語を利用したデータサイエンス的アプローチが既に広がっていました。今どき、社会科学の研究においても大量のデータを効率的に用いることが当たり前で、学生も教員も日常的にデータサイエンスを使っていたのですね。

この潮流の中でより先端的な手法を研究に取り入れるべく、今まで以上に充実した情報教育を提供しようという機運が高まっていました。

武藤/情報教育は既に講義などが用意されていたと思いますが、現在のデータサイエンスの進展に追い付くにはそれを強化する必要性を感じられたのですね。

七丈/はい。そして、以上のような内的要因とは別に、外的要因として、最近では人材面も含めてデータサイエンス(以下、DS)の社会的なニーズが高まっています。

現代社会に存在する社会科学は複雑化しており、従来の手法では解決できなかったものばかりです。それらを解決するためにはDSを活用した新しい切り口での取り組みが不可欠だからです。また、DSは道具としては非常にパワフルですが、その利用によって生じる個人・組織・社会の変化の洞察なしに使用するのは非常に危険です。そのため社会科学とDSを融合させた新しい学術である「ソーシャル・データサイエンス」が必要だと考えました。

このように、内的要因と外的要因という2つのニーズに基づき新学部・研究科を立ち上げました。

武藤/約70年ぶりの新設でご苦労も多いのではないでしょうか。

七丈直弘教授

七丈/本学は伝統的に、社会科学分野において社会に人材供給をしてきました。その伝統を尊重しつつも、時流に合わせて、いわばドラスティックに変化させないと、あえて70年ぶりに新設する理由が薄れてしまいますよね。

そのために、まずはこれからの社会で必要となるDSとは何であるかを考え、さらに、その学術体系はどのようなものか、教育はどのように行うべきか、それを教えるにふさわしい人材は何か、という流れで学部の在り様を具体化し、我々が最も適切と考える人員の配置を行いました。そのため、いわばフルスクラッチで設立することになり人材獲得が大変でした。

武藤/通常は、各大学で教育の伝統がある中で、微調整をして新学部を立ち上げることが多いと思いますが、それらとは真逆のアプローチのようですね。では、カリキュラムの特長を教えていただけますか。

七丈/まず、データサイエンスと社会科学の双方を学ぶことができます。どちらも、基礎から応用まで多様な科目を体系的に学ぶことができるように配置されており、卒業までの4年間を通じてじっくり取り組めるようになっています。

社会課題を解決するには、単に分析手法だけではなく「課題は何か」「それは本当に課題なのか」「その解決による二次的影響はどうか」など課題の周辺にも目を向けなければなりません。そうでないと、仮にDSを適用できても社会へのインパクトは小さく、むしろ害悪になる可能性すらあります。また「データ」とは元来、現象を直接的に示したものであって価値とは中立的であることから、データサイエンスのみから価値判断を行うことができません。だから我々は社会科学の必要性を掲げているのです。

武藤/つまり、社会的ニーズへの適合が重要なのですね。DSを生かしたコンサルティングも手掛けている弊社と通ずるものがあります。

七丈/まさにその通りで、学生にはいわばコンサルタントのスキルを持たせるつもりです。課題を与えられるのではなく、自ら抽出して解くという「課題解決能力」ですね。さらに現場で通用させるには「分析結果を基に組織やビジネスをどう変えるのか」という視点も不可欠です。新しいカリキュラムでは、もちろんこの領域もカバーしています。

データサイエンスと顧客ニーズの両面を見るコンサルティングを

ビジネスの現場におけるDSについて話が出ました。

弊社COO・武藤覚

武藤/弊社の案件におけるDS導入事例として、例えば仕入や売上、営業活動などの状況をリアルタイムに収集し、可視化して経営者に伝える「経営ダッシュボード」があります。散在する業務データを社内外のシステムから取り込んで加工し、経営判断につながる情報を提示する仕組みですね。

ここで留意したのは、最初から完成形を目指すのではなく、まずはモックアップを作ることです。顧客と弊社コンサルタントで途中段階のイメージを共有しながら、データを追加したり、見せ方を改良したりする手法を選びました。

こうしたケースではデータウェアハウスを構築するようなウォーターフォール型開発が一般的ですが、この案件では、企業内にすでに存在するフォーマットの異なる帳票や報告資料からデータを抽出、加工、分析するアジャイル型開発を採用しました。経営ダッシュボード構築の過程を経営者が把握できるので、スピーディに顧客の欲しいものに落とし込めるというメリットがありますね。

また、ある卸売会社からは「蓄積された販売・在庫データを分析して営業施策につなげたい」と依頼されましたが、合併を経ているため商品マスターが統一されておらず、なかなか苦労することになりました。この場合、組織や業務の在り方、商品マスターの構造や更新権限の見直しなど、ビジネスプロセス・リエンジニアリングを行うことで初めてDSが出番を迎えます。

さらに「需要予測を高度化したい」と相談された案件では、DS導入に向けて業務フローの見直しも提案しました。需要予測には現場が持つ情報とデータを「早く」「正確に」「統一された形で」収集する必要があり、データを整える過程と合わせて組織や業務の変革にも目を向けたわけです。

いずれも「DSと社会的ニーズの両面を意識してコンサルティングに臨む」という弊社の現場ならではの事例です。つまり、私たちも単にテクニカルにDSを扱うのではなく、先生が仰るようにまずは真の課題を特定して分析し、解決策を立てて実行に移すという「コンサルタントの基本」に忠実になって取り組んでいるのです。

七丈直弘教授

七丈/よく分かりました。今の話にはDSを実務に活用する上で重要なポイントがいくつも含まれています。我々も課題解決型学習を設けていて、分析の前後を体験できるようカリキュラムを組んでいます。

フォーマットの異なるデータを合わせるという話も出ましたが、今後はこのプロセスでもDSが出番を迎えるかもしれません。数年前から、Transformer系の自然言語モデルを使ってデータフォーマットを認識し、自動的に成形する方法が注目されていましたが、現在はより進んだ大規模言語モデルがあります。DXの行い方もそれによって変化するでしょう。いわば「“DXのDX”」が可能になるのではないでしょうか。

私も内閣府の科学技術に関するデータを分析していますが、やはりフォーマットの不一致や手入力によるエラーが見受けられます。これに対し、データハンドリングのスキルもさることながら対象の理解を通じ「真の値は何か」を基に推定する能力も求められます。だからDSとドメイン知識の両方を備えなければなりません。

また、組織を統合するたびに異なるデータを合わせていてはコストが増える一方なので、どこかで全体を変える必要があります。とはいえ固定化したら意味が無いので、課題解決の「あるべき姿」を見るには、長期的な視点や幅広い視野、現時点では分からない潜在的なニーズに対しても応えようとする姿勢が大切になります。

だからコンサルタントに対しては、今まで以上にノウハウや経験が求められ、そこで差が生じるでしょう。

企業にもソーシャル・データサイエンスへの対応力が求められる

武藤/ところで先生の下でSDSを学んだ学生には、卒業後どのような仕事に就いてほしいですか。経営コンサルタントも候補に入っているとうれしいのですが(笑)。

七丈/もちろん有力候補です。なぜならコンサルティングは、広い意味で考えると「データに基づく経営」ですよね。シンクタンクや金融業界、事業会社でも活躍しそうですが、特に我々が注目しているのは政府です。社会の根幹である行政を変えないと、日本全体のDXが進みません。民間だけでなく、政府内でけん引役になれる人材も輩出したいです。

弊社COO・武藤覚

武藤/コンサルティングファームが選ばれて光栄です。私たちの業界にもデータサイエンティストはいますが、今のところ理系出身者が多いようです。DSをビジネスの成果につなげていくために、今後は社会を理解できる人材が必要になるので、文系からデータサイエンティストになる人も増えてほしいですね。先生が立ち上げた学部および研究科に対し、人材のニーズはますます高まるでしょう。卒業生の能力を活かすには、受け入れる企業側のケイパビリティも求められますね。

世の中で活躍しているデータサイエンティストの中には、実はコンサルティング業界を経験した方が多数います。先生がおっしゃるように、組織としてSDSのケイパビリティを育てる土壌があるからですね。

近年はコンサルティング業界を経て事業会社に移る人が増えています。事業会社側でも、データサイエンティストを抱えてSDSのケイパビリティを活用する流れが加速しそうですね。そうすると、先生が想定される卒業生の活躍もより現実味を帯びます。

七丈/そうですね。我々は大学内で人材育成を完結する気はありません。企業という現場を経験することで、最先端の知識を得て、問題を深掘りできると考えているからです。博士課程も設置する予定ですが、学士から直に進むのはもちろん、途中で会社に入ったり、あるいは社会人が学べたりと、自由に行き来できるキャリアパスを提供するつもりです。

データサイエンスやAIの進化する未来こそ「考える力」が重要に

将来の話になりましたね。

武藤/DSを社会的に実装する上での課題や、それが将来どのように解決されるのか、お聞きかせいただけますか。

七丈/実話に基づくベストセラー書籍『マネー・ボール』をご存じでしょうか。米大リーグの弱小貧乏球団がデータ分析を導入して快進撃する話で、映画化もされました。

チームは選手を安価で集めて勝率を上げることに成功しましたが、データ分析を持ち込んだ人物は、やがてビジネスとして他球団にもその手法を提供していきます。そして結果的に、手法は誰もが使用することにより陳腐化し、逆にデータ分析による選手交代などが頻発して、メジャーリーグの試合はつまらなくなってしまいました。

武藤/各チームの勝率が均衡し、平均試合時間も従来の約1.5倍に延びたと聞きます。ピッチャーも3球投げたら交代するなど、テンポが悪くなってしまいましたよね。選手の年俸も高止まりになったようです。

七丈/データ分析の手法を誰もが使用するようになったからでしょうね。そのため、現在ではメジャーリーグは適宜ルールを変えて過去データの学習に基づく『マネー・ボール』的なアプローチに対抗しようとしています。

武藤/最近ではピッチャーの投球間に時間制限を設ける「ピッチクロック」も話題になりましたね。勝ち負けがある野球にDSを持ち込んでもある意味でゼロサムゲームですが、そうではなく社会的にプラスの価値を創造するような方向でDSが活用されてほしいと思います。

七丈/やはりDSは使い方ですね。長期的な目線でマーケットに及ぼす影響などを回避した上で取り入れなければ、社会に価値を提供できません。

武藤/ところで最近はChatGPTや生成AIの話題で持ちきりですが「機械による解決策を人間が信じて行動するのか」という課題も最後まで残る気がします。実際にChatGPTの回答には真実でないことが含まれることがあります。そもそもコンピューターの指示よりも、信頼できる人間に言われたほうが行動に移しやすいのではないかと思います。

七丈/コンピューターとのコミュニケーションに関し、AIの自然言語処理能力が急激に向上したため、様変わりしつつありますね。ChatGPTも、大規模言語モデルにチャットというインターフェースを取り入れたことで一気に普及し、リリースから史上最速で1億ユーザーに達しました。

武藤/これまで以上に自分の頭で考える力が重要になりますね。ロボットの答えを真に受けるだけの人は、いずれ機械に使われてしまう気がします。

実際にChatGPTは、コンサルタントの新入社員が学ぶ基礎的なリサーチスキルの代替策になりえますが、生成される情報の真偽や有用性を見極め、データを活用して顧客の真の課題を追求して解決するという、コンサルティングワークの基本がますます価値を持ちそうです。

七丈/ChatGPTは教育現場にも入ってきていますね。この先、生成AIに触れた学生が社会に出たら、ビジネスの現場でいかに利用するのか知りたいものです。

武藤さんが指摘するように今のAIはミスが多い一方、何を尋ねても“それっぽい”答えを出してくるなど、利用には注意が必要です。しかし、そんな扱いにくい存在だからこそ、逆に我々は学生に積極的に利用するよう勧めています。

重要なのは、分析結果を深く吟味し、結果の正しさを担保することにあります。このような検証には手間がかかりますが、それを繰り返し、体験を通じて真理に最も近づく方法を理解してほしいですね。

武藤/AIにVirtue(徳)があるか、つまり「信頼できるか」という観点ではいかがですか。

七丈/我々が抱える社会課題には、基本的に唯一の解が存在しません。なぜなら、その時の価値観や社会からの要請によって変わっていくからです。

ビジネスにおいても苦労して次善の解を出すわけですが、いずれも100点ではないため、いざ実行に移すと不都合が生じます。だから「なぜ実施するのか」「本当に実施して構わないのか」という議論や合意形成が必要なのです。

深化したChatGPTなりAIなりは、やがてこうした複数の次善解を出すようになるでしょう。でも、その中のどれを選ぶべきかまでは教えられないはずです。

武藤/コンサルワークでも答えが1つに決まることは少ないので、いくつかの選択肢を考えてさまざまな観点から評価し「A、B、CのうちAがいいですよ」などと推奨しています。そして実行に移すには、人や組織を動かさなければなりません。この領域は機械には担当できませんね。

七丈/今のAIにはVirtueがまだ無いでしょうね。AI自身は、責任を取らず、対話の相手に寄り添うこともありません。

武藤/未来のAIはどうなるのでしょうか。

七丈/ChatGPTの最新バージョンはGPT-4です。振り返ると1990年にWindows 3.0が発売され、3.1になり、95になり、Me、XP……と開発されてきました。同じく西暦2100年にはGPT 2100が誕生するかもしれませんよね(笑)。大規模言語モデルの性能は既に飽和していると考える人もいますが、私は逆の可能性も探るべきだと思っています。GPT2100の登場も念頭に置いた上で、人間の働き方やリスキリングの変化に備える必要があるのではないでしょうか。

武藤/「備え」とは、例えば教育面ではどんなことが挙げられますか。

七丈/私の持論では、やはりパーソナリティが鍵になります。ChatGPTはネット上にある多くの人間が書いたテキストを学習していて、その他のランゲージモデルやAIにもいろいろな人のパーソナリティが入っています。つまり裏を返せば、無数の考え方が混在して一貫性に欠け、そこには固有のパーソナリティも存在しえません。逆に、AIには無くて人間にあるのがパーソナリティなのです。

また、AIは非常に多くを学べますが、希少性について原理的に学習するのは苦手です。だから人間は、自ら見聞きして経験を重ねるべきです。経験とはリッチな情報であり、まさにブロードバンドの最たるものです。あらゆる情報を得て自ら処理することが大切で、危機に直面して乗り越えることも重要な意味を持ちます。

武藤/留学も固有の体験ですよね。私もアメリカのビジネススクールのハードな環境に身を置き、落第するかもしれないという状況をくぐり抜けたことが今に生きています。自分だけの経験は非常に大事だと思います。

七丈/これからはAIが学習していない、自分だけのリアルな経験が重要になりそうです。この部分を磨き、唯一無二のものにすることですね。

武藤/未来のAIも思い描けました。また、デジタルの面でも社会科学の面でも、SDSはさまざまな可能性を持ち、これからの社会につながることが分かりました。本日は示唆に富むお話をありがとうございました。